SIC,JPM,GTAなど主催者関連の権利関係が複雑で、最後までどこでどのように開催できるか混とんとしていたため充分な準備が出来ませんでしたが、車両は既に送ってあったので、とりあえず、暫定的ではありますが開催にこぎつけました。 結局、スペースはパドックを出て少し1コーナー寄りに行ったGT ASIAのパドックの一角になりましたが、GT ASIAの関係者や各ワンメイク・レースの関係者との接触は多かったものの、GTレースの取材をしているジャーナリスト達からは距離があったために、メディアからの取材はほとんど無かったような状況です。
童夢の役員である穴吹を6/3から現地に派遣して準備を進め、やっと6/8の朝から設置に取り掛かり、6/9(土)の朝に準備が整いました。 スタッフは林と穴吹しか居ませんが、私はエアコンも無い灼熱のブースには5分も居られませんから、ずっとあちこちのエアコンの効いたチームのブースをうろうろとしていたので、ほとんど穴吹が接客を担当していました。 丁度、GT ASIAに出場するDilanthaさんのガレージが目の前だったので、奥さんや御嬢さんにお世話になりながら、何とか2日間をこなした次第です。
まあ、総体的には、がらんとしたパドックで、時々、人が訪れるという感じですが、レースファンやチーム関係の興味本位の来訪者などを含めると、約100組が来場し、いくつかのキーマンとは、直接、話をして資料を渡すことが出来ました。 詳しいことは追ってお知らせするとして、ここでは少し、雰囲気だけでもお伝えしておきたいと思います。
JMIAの目的は、あくまでも「自らレーシングカーを造りたい人を支援するシステム」であると説明しても、全ての人が、「解った、それで、このフォーミュラは15台買ったらいくらだ? 20台なら安くなるのか?」という按配で、まだまだ意識がそこまで行っていないようですね。
また、価格に関しても、クオリティやコスト/パフォーマンスという概念に乏しいようで、中には、フォーミュラ・ルノー・キャンバスの中古やラルフ・フォアーマンの親父のバンデーメンが東南アジアのマーケット向けに復活させたスペース・フレームのF2000シャーシ等と比較する人も多く、本気でこの地域でこの種のレーシングカーを売ろうとしたら、もっともっと実践的な販売戦略が必要だと感じました。
しかし、勢いはありますから、この時期、指をくわえて眺めている手はありませんが、ヨーロッパのコンストラクターたちの動きを見ていると、遅きに失している気配も強く感じますし、何よりも、このうらびれた灼熱のブースでのぼせていると、「金と時間を浪費してまで、俺はここで何をしているんだろう?」と虚しい気持ちで一杯になってきます。 マレーシアで汗まみれになりながら日本製レーシングカーの海外進出を図る自分と、何かと外国製のフォーミュラの輸入を画策するJRPの連中の落差が、より虚しさを増幅してくれますね。
車両はもう少し置いておいて、タイや中国やインドでのデモンストレーションなどの可能性についても検討していこうと思っていますが、私費を投じてこんなことをしていても誰か喜んでくれるんでしょうかね?何かの役に立つんでしょうかね? 何にしても、現地に、ルマン商会のような輸入商社があると好都合ですが、この黎明期に創業してしまうというのも手だと思っています。まあ、モノにするのは次世代の話ですが。
日本自動車レース工業会 会長 林みのる